かつて人類の祖先は新たな土地を求めて移動した。それをいつしか『旅』と呼ぶようになった。今やその移動手段は多岐に渡り、人の移動はますます活発化した。
いつの日か、それは宇宙へ。
月を中継地点に、太陽系をクルーズするような時代はやってくるのだろうか。
化石資源を使い果たし、緩やかに滅亡へと向かう地球の人間社会と、月で新たな資源を発見した人類。月で生まれた少年は、家族旅行で土星へと向かう途中の少女に出会う。
そんな遠い未来を舞台にしたSF小説『100%月世界少年 (創元SF文庫)』はどこか幻想的で、アーティステックな魅力がある。
なにせ、小説も未来も、人が作り出すアートなのだから。
SUMMARY
舞台は2000年後の未来。
月で稀に生まれる〈第四の原色〉と呼ばれる色の瞳を持つ子供。
それは地球には存在しなかった表現しようのない色。その瞳を見た人間は錯乱をきたすため法律で、生涯ゴーグルの着用を義務付けられている。
少女にその色を見せてしまった彼は、執拗に追われる中で何故そんな扱いを受けるのか疑問を抱く。
そして巧みに隠された真実を求めて、仲間たちと共に月の裏側を目指す。
CHARACTERS
ウィットの利いたネーミングセンスに脱帽した。
主人公とその悪友
ヒエロニムスとブリューゲル。
この名にピンときた貴方はきっと美術愛好家の一人だろう。
ヒエロニムス・ボスはルネッサンス期のネーデルラントの画家。
そして後世、彼の影響を大いに受けた作風とされる、16世紀のブラバント公国(現オランダ)の画家、ピーテル・ブリューゲルは『バベルの塔』で有名だ。
何を隠そう、この名を表紙の内側の登場人物紹介で見つけたことが、本作を読み始めるきっかけとなった。
画家である彼らの作風は至極独特。その名を持つ彼らが、月世界でどのように振る舞うのか、どんなキャラクターなのか。
そして本作において最も重要なキーワードである〈第四の原色〉。
大いに興味を唆られた。
二人のヒロイン
うち一人は冒頭で記した地球からの旅行者である少女。
その名は『スズメの上に落ちてゆく窓』。
シュルレアリスムを思わせる奇妙なフレーズは、2000年後の地球で流行っているお洒落な名前だという。このあたりが先に取り上げた画家たちの作風と交錯し、いい雰囲気を醸し出している。
SF好きだけでなく、是非ともアート方面からも注目して欲しい作品である。
WORLDVIEW
ハチドリ
月に生息する唯一の鳥類・ハチドリ。
ただし犬並みの大きさのそれは、群れになって月の砂漠を越えてゆく。
ウルザタリジン
数百年前、地球上の全ての化石燃料を使い果たし、人類は緩やかに滅亡へと向かっていた。だが、ウルザタリジンと呼ばれるエネルギー資源が、月において発見されたことで活路を見出した。
これのおかげで、数百万人分の雇用が創出された。太陽系内の全航路が開けた。ウルザタリジンは神が与えたもうた生命の酒であり、聖水だった
〈100%月世界少年 (創元SF文庫)・P.153〉
新資源に依存しながら発展した月社会と、砂漠のまま放置された月の裏側。ウルザタリジンの採掘と運搬、そしてそのエネルギー消費。それ以上に産業として発達させるに至らなかった月社会は、やはり衰退の一途を辿る。
百パーセント月世界少年 / 少女
しかも稀に先天性の奇妙な障害を持つ子が生まれるようになった。それが〈第四の原色〉の瞳を持つ〈百パーセント月世界少年 / 少女〉である。
彼らに備わる極めて特殊な能力について、月政府は長年にわたって隠蔽し、狡猾に利用してきた。そして理不尽な扱いを受けながらも、抗える者はいなかった。
どれだけ長く月の上で生きれば、人間は人間でなくなってしまうんだろう? 百パーセントという数字に妥協の余地はまったくない。百パーセントの人間でないのなら、その人間は別の生き物に決まっているんだ。月なんか、宇宙に浮かぶ石ころに過ぎない。その上で、ぼくらは死ぬまで人工の空気を吸う。ぼくらは一生、彗星を溶かした水を飲む。そして君は、髪をブルーに染めた。
〈100%月世界少年 (創元SF文庫)・P.99〉
主人公は少年から青年への過渡期にある年頃の男子高校生。
どこか詩的な台詞をこぼす彼は、学習能力において奇妙な偏りを持っている。それが個性豊かな友人関係の広がりに寄与していると言っていい。
警察に執拗に追われる身となった主人公が、自らを守るため行動する中で、その友人たちが重要な役割を果たしてゆく。彼らが駆けるのは学校に、月を走る地下鉄の中でも最も汚く危険な路線、遊園地や繁華街といった眠らない街。そして月の裏側。
そこにあるのは、史上最大の紙の本の図書館だ。
IMPRESSIVE SENTENCE
随所に見られるお洒落で感情豊かな表現の中でも、やはり冒頭に描写される主人公の内なる静かな感動を一押ししたい。
ハチドリの群れのやかましい羽音は、人間の内耳にある何かを刺戟するらしく、聞いた者はみな、自分も空を飛んでいるかのように気分が高揚する。
だからこそ、あの少女と唇を合わせた瞬間、ヒエロニムスもこう思ってしまった。
――ぼくは今、ハチドリの群れに交じっているのだろうか?
彼女とキスをしたという事実が、この地下鉄での移動を、なんとか耐えられるものにしていた。〈100%月世界少年 (創元SF文庫)・p.7〉
特にこの最後の一文。この言い回しに強く惹かれた。
主人公の浮き立つような夢見心地の状況と、そうなった経緯。そして今、身を置いている場所が、如何に最悪かということがありありと凝縮されている。
さらには耳で捉えた感覚であることから、恐らくかなり騒々しいであろう地下鉄の走行音さえも、かき消されているのであろうと推測させられる。
実にお見事。
KEYWORD
きままな樹木狼
これは本書に登場する本のタイトルである。その内容までは記されてはいないが、主人公が行動するきっかけとなる重要な本だ。
どこかヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ (新潮文庫)』を彷彿とさせる。しかしながら対照的な印象のフレーズと『樹木狼』という不思議な単語。様々な想像を掻き立てる。
REMARK
個性的なキャラクターに、月と地球が交錯する未来のシュールな世界観。ウィットの効いたフレーズ。その中で展開される緊迫感満載の逃走劇。
そして、紙の本、文学に対する哀愁。
簡単にはその魅力を語り尽くせない本書に一言。
とても面白かった。