◉ひとつ前のエピソード◉
コルカタでは数人の新たな乗客を迎え入れ、離陸もスムーズに済んだ。その後は特に気流の乱れもなく、白い雷龍の乗り心地は快適そのものだった。
次なる軽食も提供され、しばし団らんの時間を過ごす。
提供された紙箱の中身は、パンに焼き菓子、ゼリーに豆菓子だ。
コルカタへ立ち寄る前の食事からそう時間も経っていなかったので、非常食としてカバンに詰め込んでおいた。
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程なくして眼下に広がったのは、緑豊かな集落だった。
どちらかというと、乾燥した褐色の大地がむき出しになっている光景を勝手に想像していた。山に囲まれたこの土地は、水にも恵まれているようだ。
機体が旋回する最中、窓の向こうで羽根板の角度が微調整される動きがよく見える。遠くに望む景色も良いが、こういったギミックの動作の方に注目してしまう自分もいる。
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外国人旅行者にとってのブータンへの玄関口は、空路ならパロ空港だ。陸路の場合はインドとの国境にあるらしい。パロ空港は世界で一番着陸が難しく、この空港で着陸できるパイロットは世界のどの空港でも着陸できると言われているそうだ。
- 山に囲まれている
- 狭い
- 滑走路は一つだけ
これがその着陸の難しさを生む要因だという。
確かに山と山の間の狭い谷間に、埋め込まれたように空港が存在している。無事に着陸できることを祈るしかない。
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コルカタ以降は快適な空の旅だった。いよいよ着陸態勢に入る。高度が下がっていく感覚があって、ぐんぐんと滑走路へ向かって滑り込む。そしてそのまま着陸……
せずに、なんともう一度飛び上がったのだ。幾度となく飛行機に乗っている人にとっては、このような経験は別に珍しくもなんともないのだろうか。少なくとも私自身にとっては、これが初めてだった。
着陸に成功するまで何度もトライするのだろう。
とはいえ、小さな機体に積み込める燃料には限りがある。コルカタで燃料も補給したのかもしれないが、そう何度もというわけにはいかないはずだ。
高度を上げて旋回する機体は、もう一度緑の集落の姿を見せてくれた。国旗が刻まれた羽根は空を切り、仕込まれた板の角度は繰り返し微調整される。
距離・角度・速度・風。
着陸に影響する要因は他にもあるのだろう。とにかく色んな条件が絶妙に揃ってはじめて成功するものだと、これまであまり深く考えたことはなかった。
『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方 (光文社新書) 』(竹内薫・著)のプロローグにあるような、「飛行機がなぜ飛ぶのか、実はよく分かっていない」といった話題は面白いけれど、実際の生活の中ではあまり細かいことは考えないものだ。
腕のいいパイロットだったのか、この時は2度目のトライで無事に着陸成功。普段は着陸後の周囲の雰囲気の変化で目が覚めることの多い私も、この時ばかりは臨場感のある着陸劇を体験させてもらった。
この時の脳内は非常におめでたい状態だった。
わかりやすいイメージを挙げるなら、ロケットの打ち上げだろうか。大きなモニターを前に固唾をのんで見守り、打ち上げが成功して、その場にいる皆が両手を上げて大歓声に包まれた、という状況とほとんど同じような感覚の体験だったわけだ。
現実には両手を固めに握りしめ、アドレナリンが駆け巡るのを感じつつもじっとしていて、一見涼しい顔をして、おとなしくベルト着用サインが消えるのを待っていただけだったけれど。
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長くも短くもない時間を経て、白い雷龍から降機し、久しぶりに地上を踏みしめた。
滑走路周辺で、こんなにも周囲の環境に目を向けたことは今までに一度もない。きっと同乗していたほとんどすべての乗客がそうだったのではないだろうか。
滑走路の直ぐ側にはそれなりに急な斜面を見せる山が迫っていた。
空港の建物の向こうにも、すぐ近くに山がそびえている。
滑走路そのものも、そう広くはない。
すぐそこに終わりが見えていて、少しの時間で歩いていって帰ってこれるくらいの距離だ。着陸後にこんなにもじっくりと飛行機のそばに居たのは、この時ばかりだった。
四方を山に囲まれた唯一の滑走路は、ブータンの地を初めて踏んだ者の心を魅了して、中々放そうとはしなかった。
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