米粒遊歩 〜自由と孤独と本と手帳〜

旅のあれこれを手帳に書き残すように。

濁流に架かる鉄の橋とツァツァ

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向こう岸の丘に見えているのがタチョ・ラカンだ。

ラカンとは僧院のこと。タチョ・ラカンは14世紀に創建された古寺らしい。

タチョ・ラカン寺院

ブータンは世界で唯一チベット仏教を国教とする国で、民族によって宗派が異なる。現在は二つの宗派が主流だ。

  • ブータンの仏教の開祖とされるグル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)のニンマ派(古派)
  • チベット仏教のカギュ派から分派し、17世紀にブータンを制圧したドゥク派

ニンマ派の寺として存在するタチョ・ラカンは珍しいそうだ。

が、あの対岸に渡れるようにするために開祖グル・リンポチェが架けたとされる『橋』がより注目されている。

パロ川に架けられた鉄ワイヤを編んだ吊橋

ブータンの公用語はゾンカ(ゾン語)だ。ゾンカで川のことを「チュ」という。つまりパロ川は「パロ・チュ」と呼ばれている。

眼前のパロ・チュに架けられた吊り橋を渡る。それこそ、ここに来た目的と言えよう。

建物に足を踏み入れて橋へ

パロ・チュの両岸にあるこの建物は、旅人が雨風を凌いで休息をとる際に使われたりするそうだ。早速、中を通り抜けて橋の入り口に向かう。

と、その前に。

視野の端で存在感を放っているものを確認せずにはいられなかった。それはぎっしりと供えられたカップケーキみたいなもの。ツァツァと呼ばれるミニチュア仏塔(ストゥーパ)だ。

ぎっしりと備えられたツァツァと呼ばれる小さな仏塔

ブータンでは亡くなった人を火葬し、その遺灰を川に流す。そして骨の一部をすり潰し、小さなお経の巻物と一緒にその土地の土と混ぜてツァツァ(仏塔)とする。さらにできる限り雨風を凌げる場所に供えることで、長い長い年月をかけて、自然に還っていくのだそうだ。

そこには『そして次の輪廻へ』というニュアンスが込められているのだろう。

 

なるほど。

しみじみと心を打たれたのは『長い長い年月をかけて』という部分だ。自然に還るのも、そして次の生を授かるのも、『その時が来るのを待つ』というスタンスは好ましく思えた。

個々人の生への執着からは離脱していて、誰もがあくまで調和の一部なのだと、それがブータン人の考え方なのだと解釈した。

鉄の橋

建物の構造は単純で、すぐ目の前に向こう岸まで一直線の橋が架かっている。

鉄の橋だとは聞いていたが、鉄のワイヤを編んで作られた橋だったとは……

鉄のワイヤを編んで作られた長い吊橋

はしゃいで駆け抜けるようなことは流石にしないが、手前で立ち止まるとガイドのJさんがニヤリとする。見かけはアレだけど、意外と頑丈だから、と。

そしてさっさと外に出て、慣れたように鉄ワイヤの橋の端に寄り掛かる。

鉄ワイヤの橋の端に寄り掛かるガイドのJさん

ちなみにこれが男性の民族衣装のである。日本の着物に似ているけれど、足捌きの良さそうな膝丈で、足元はハイソックスとお洒落な革靴だ。

下の景色が見えるスカスカした足元は苦手だが、ビビる内心を隠して真顔で後に続く。スリル満点の状況下でもキャーキャー言うキャラではないのだ、私は。可愛げの欠片も無いことだろう。

鉄ワイヤの橋を両側から渡る人々

人数制限は特に無いのか、向こう側からも同じくらいの人数がやってくる。
ぶつかったところでじゃんけんをして勝てば進める、といった子供の頃にやったような懐かしい遊戯の実戦版がこの橋の上で勃発する…!

なんてことはない。

橋から眺める濁流

カラフルなルンタ(風の馬)の向こう側に見える濁流は底が知れない。しばらく雨続きで濁っているが、普段は澄んでいて魚も見えるらしい。ブータンの人が魚を釣って食べることは無いらしいけれど。

小さめだった対岸の建物の入り口

ちなみに対岸の橋の袂の建物の入口はなんだか少々小さめだった。

祈りが祈りを生む仕組み

タチョ・ラカン寺院の建物そのものには立ち入ることができないようで、下から眺めるにとどめた。代わりにぐるっと一周したのは、大ぶりなマニ車が設置された東屋のような建物だ。大ぶりな石造りの基礎の上の、やはりブータン様式らしい色鮮やかな装飾が目を惹く。

右手にいるのは民族衣装のキラを身に纏ったブータン人女性だ。こうして眺めると、建物と民族衣装の雰囲気がよく合っている。

マニ車が設置された建物

マニ車にはお経が内蔵されていて、一回転させると一度お経を読んだことになる。

 

「ブータン人は、代用品で誤魔化すのが得意なんだよ」

(伊坂幸太郎・著『アヒルと鴨のコインロッカー』)

 

まさに〈【旅本】ブータン×『アヒルと鴨のコインロッカー』〉で紹介した本の台詞が蘇ってくるようだ。

 

彼らにとっては、実際にお経を読み上げる身体的な負荷や時間の消費よりも、可能な限り祈りを重ねることの方が遥かに意味を持つ。あらためてこう書いてみると、その感覚がしっくりと腑に落ちる。

立派な装飾が施された大きなマニ車

並んで順にマニ車を回しながら周囲を歩いた。

誰もが祈り手になることができ、その祈りが人から人に受け継がれてゆく。延々と回り続けるその姿こそが自然であるように。

 

 

 

時を経て

私がブータンの地を踏んだのは2016年。

この時は踏み込むことができたこの鉄の橋も、2018年にはワイヤーが切れて渡れなくなっていたとの情報が……。なんでも大人数で乗りすぎたのだとか。まあ少なからず老朽化もあったのだろう。なにせ鉄製だし。

 

『危なげだが意外と大丈夫』と思えるものも、やはり『いつまでも』というわけにはいかないようだ。まるで人生の教訓のようでもある。

 

風の良き通り道であるこの場所は、きっと修復が望まれることだろう。もちろん、そうなってほしいとの祈りだ。

 

 

参考資料

ガイドのJさんのお話に加え、以下の資料も参考にしています。

・ドラゴンツアーズ『ブータンの宗教について

・吉田健人, 浅川滋男『ブータンの崖寺と瞑想洞穴』 公立鳥取環境大学紀要, 第14号(2016.3)p.51-70

・YAKLAND『ツァツァ お墓のない国ブータン