旅とは言っても、それは人生の一部であり、その基盤は『生活』に他ならない。
日常の雑多なことから離脱して旅の中に身を置くと、最もシンプルな軸が浮き彫りになってくる。旅先だからこその行ってみたい場所や食べてみたいものなど、目的こそあれ、結局その根底にあるのは『衣食住』なのだ。
何を重視するかは人それぞれ。
旅立ちの高揚感から覚め、旅が日常に近づいてくると、何を身に纏っていると落ち着くか、本当に満足する食事はどのようなものか、どんな環境が安らぎ、休息に適しているか、そういったことにセンシティブになってくる。
これはわざわざ旅立たなくとも、日々の煩わしいものから離脱する術を知っているならば、日常の中でも掘り起こすことができる。
が、それは様々な感覚・感情の中から意図的にふるい分けて探し出す作業で、それなりに余裕がないと出来ないだろう。何かに忙殺される時間の中では、どれも置き去りになってしまうことばかりだ。
一人旅には『如実知自心』という言葉が相応しいかも知れない。
あるがままに自らの心を知るという意味だ。
まさしく一人旅を通して拓かれる境地だろう。
日常において可能なことでも、旅の中に身を置くことで自然と舞台が整う。
特に一人旅にような拠り所のない不安定な状況では、自ずと安定しようとする自身の特性が浮き彫りになるものだ。
その中で他の誰でもない自分自身との距離がぐっと縮まり、自然と対話が始まるのだ。
これこそ、一人旅の効能ではないだろうか。
興味の方向性、食事の内容やタイミング、宿の選定…
現実的な話をすれば、旅の充実度を決める様々な要素について、求める内容や度合い、金銭感覚は人によって大きく違う。
一人旅では全てにおいて自分自身が選択する。
日程、行き先、予定外の行動、乗り物の座席の等級まで誰にも遠慮することはない。
だからこそ、納得できる妥協点と絶対譲れないものが浮き彫りになる。
そうすると自ずと選択する力も身についてくる。
これもまた一人旅の効能の一つだろう。