米粒遊歩 〜自由と孤独と本と手帳〜

旅のあれこれを手帳に書き残すように。

トレイル志向 〜歩き旅と寄り道〜

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きっかけは覚えていないけれど、ロングトレイルに興味がある。

ゆっくりと時間と景色が流れてゆく『歩き旅』というスタイルも、性分に合っているし、見知らぬ土地の風土を知ることや、食べたことのないものを口にするのも好きだ。

何より、ずっと遠くへ、行きたいのだろう。

 

 

サミット to トレイル

山を歩くようになって、精神的な解放感を理解した。

歩くと風が起き、意識にまとわりつく靄霞を流し去ってくれる。後に残るのはくっきりとした展望だ。それがこれから向かっていこうとしている未来の姿であって欲しい。

青い空と両サイドから伸びる枝葉

ピストン登山も良いけれど、縦走はもっと好きだ。

薄々感じていたことは、2019年に燕岳から大天井岳を経由して常念岳までを縦走したことで鮮明になった。くたびれたけど、下山した時に登山口から随分離れた場所に、別の土地に立っていたことで、その距離を高低差も含めて自分の足で歩いたのだという実感が、心身にじわじわと沁み入ってきた。

山に登ると見えてくる次の山。

あんなに遠くまで? と慄きながらも、辿り着いた後の心地よい疲れが癒えていく時間。それが堪らなくが好きなのかもしれない。

 

そうそう。

常念小屋にお世話になったのは、ちょうど100周年を迎えた日だった。

 

山に登る目的

登頂、眺望、動植物との出会い、ヤマメシ、コーヒー、山小屋で過ごす時間、運動、カメラ、ご来光、タイムトライアル、そこに山があるから…

山へ足を向ける理由も目的も、人それぞれ。

 

それが私の場合は〈解放〉なのだろう。

ピークハントせずとも
眺望に恵まれなくとも
映える食事でなくとも

別に構わない

湿度や土地の香りを孕んだ風を浴びて、ただ黙々と歩きたい。それで充分。

何かを得るためではなく、薄めにいくのだ。

道中に落ちていた紅葉

『解放』は『逃避』だろうか。
どちらでも構わないけれど、自分が自分でいるためには、己に纏わりつく有象無象を振り払わなければならない。逃れることができるうちに。

 

たった1日歩いて過ごしただけで『解放』されることを知ったら、次は2日3日とやってみる。しんどい、疲れた。でも楽しい、またやりたい。それが実際の感想だ。

もっと長く『ただ歩く日』を積み重ねたらどんな風になるだろうか。

そんな興味がロングトレイルを歩く旅を想起する。

 

元々、何かをコンプリートしたいという欲はあまり無いし、途中で『もうやめたい』という気持ちが生まれるかも知れない。

いつ、どこで、どれくらい続けたら、どんな経緯でそうなるだろう。

もしくは、果てしない〈解放〉を求めて、どこまでも往くだろうか。

 

カミーノ・デ・サンティアゴ

カトリックの三大聖地の一つ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ。それはスペインの西の果てにある。『カミーノ』とはこの地に至る巡礼路のことで、スペイン語で『道』を意味する言葉だ。

 

カミーノに興味を持ったのは、もちろん敬虔なカトリック教徒だから。ではなく、やはり〈歩く旅路〉という視点だったのかもしれない。

私は仏教徒でも無宗教でも、無神論者でも、何でもない。

むしろ色んな角度で眺めるために、色んな考え方を知りたいと思う。強いて言うなら、無所属か。日本の『八百万の神』という概念を適用するなら、道にだって、道標にだって、神様は宿ると考える。

吉野にある奥駈道の道標

好きな概念を挙げるならば、禅と山岳信仰だ。

と言っても座禅を組んだり、険しい山々で先達の山伏から指導を受ける修験者というわけでもない。この世界の眺め方には様々あって、私はそれらの根底にあるものを〈歩く〉という形で共有しているのだと思う。

烏滸がましくも、無理にでも言語化するとそうなってしまう。

 

四国お遍路や熊野古道といった巡礼路は日本にもあるけれど、わざわざスペインの道に惹かれたのは、時を同じくして、『オリジン』(ダン・ブラウン 著/越前敏弥 訳)『星の巡礼』(パウロ・コエーリョ 著/山川紘矢、山川亜希子 訳)に触れていたからかもしれない。

 

星の巡礼

オーディブルを使い始めた頃、『アルケミスト』(パウロ・コエーリョ 著/山川紘矢、山川亜希子 訳)を聞いた。スペインからエジプトに渡り、旅をする羊飼いの少年の物語だ。その道中で出会う様々な者との交流を通して、自分を導く〈前兆〉の捉え方を学んでゆく。

ずっと遠くへ導かれながらも、『回帰』が盛り込まれているところが、この物語のミソだと感じた。言い換えれば『灯台下暗し』とか、『本当に大切なものは、すぐそばにある』とか。

折れ曲がり捻れた山中の樹

そういった概念や構造的なものにも惹かれて、同じ著者の作品を読んでみたいと入手したのが『星の巡礼』だった。

これも主人公が道先案内人と共にスペインの巡礼路(たぶん『フランスの道』と呼ばれるルート』)を歩きながら、心身を磨いていく話だ。とある形で滝に打たれたりもする。

先達と共に歩く修験者に、どこか通ずるものがあるのではないだろうか。

 

原点 -ゼロ-

『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン 著/越前敏弥 訳)と同じく、宗教象徴学者ロバート・ラングドンを主人公に展開するシリーズで、こちらもオーディブルで堪能した。

ラングドンはかつての教え子に招かれてスペインへ渡るも、とんでもない事件に巻き込まれてスペインを駆け回ることになる。その舞台はモンセラート修道院に、ビルバオ・グッゲンハイム美術館、もちろんバルセロナの街やマドリード王宮まで、他にも挙げきれないくらいスペイン各地に展開する。

スペインの歴史的背景にも触れつつ、建築やミュージアム好きには堪らない事物が次々と出てくるし、最新技術の話題が盛り込まれることによって、人が生み出す『アート』とは、というテーマについても改めて考えさせられる。

フランスの画家ポール・ゴーギャンのあの有名な絵画だって登場する。しかもこれが作品のテーマに深く結びついているのだ。

 

少々脱線してしまったけれど、寄り道だって歩き旅の醍醐味の一つだ。

 

自身がトレイル志向なのだと気付き、ロングトレイルを視野に入れると同時に浮上した不安もまた、カミーノに結びついているのかもしれない。

カミーノは道そのものが世界遺産に登録された稀有な存在とも言える。道標が整備され、歩く者も多い。道中の巡礼者向けの宿泊施設も充実している。

つまり日中は人気のない道々を歩くとしても、基本的には人の居る灯りを目指す、という安心感だ。

それに気候や風土の異なる街から街へと渡り歩くことを想像するだけで、そわそわと心が浮き立ってしまう。

つまり、私がイメージした〈歩き旅〉にピタッと合致したのだと思う。

 

まずはカミーノへ。

そう。スペインの道を歩くことは、最終目標ではなく〈はじまり〉なのだ。

『基本』と書かれた標

気付かぬうちに編み上がってゆく興味の原点が、一体どこにあるのかは分からない。

それでも〈ロングトレイル〉の糸口を手繰ると、必ず『カミーノ』へと辿り着く。では、さらにそれを辿った〈ゼロ・ポイント〉はどこにあるのか。

 

私の意識の原点は、いつかの何処かにあったのだろうか。