今年は意識して星を見ることが多い。
と、ふと気づいた。
そのきっかけを探して時間を遡ると、夏の立山縦走に行き当たる。
その時、空からこぼれ落ちるような星々の煌めきを見たというわけでもないけれど、お世話になった山小屋は、山と天の川を眺めるのに絶好のスポットだったらしい。
立山三山を越えた先にある内蔵助(くらのすけ)山荘。食堂の各席の前に設置されたつい立てには、雷鳥やオコジョなど、この土地に生きるものやここでしか見られない風景が描かれていた。
『氷河』と聞くと頭をよぎるのは、私の場合はジョン・ミューアだ。それは『森の聖者 自然保護の父ジョン・ミューア』(ヤマケイ文庫)を読んだからかもしれない。
でもまあ、その話は今は置いておいて、星の話だ。
綿菓子器の底で
普段一滴も飲まないから、お酒のことなんてまるで分からないけれど、土産物として持ち帰った地ビールを一つ頂戴した。
シルバーウィークに再訪を計画していた立山だけど台風が到来した。今度は一人旅ということもあって、無理に行かなくてもと南へ向かうことにした。
南、といっても、紀伊半島の南、奈良の最奥地にあるキャンプ場だ。雷鳥沢でベースキャンプをして山を歩くつもりだったから、土地を変えても似たようなことをしたかった。
また新たな台風が生まれたりしている中、半ば意地のキャンプのようでもあったかもしれない。でも、小雨が止み、深夜外に出た時に見上げた夜空に驚いた。
紀伊半島の山々に囲まれたこの土地には台風の本体はなかなか入っては来られないらしい。屋久島に比類する年間降水量を誇る大台ヶ原を筆頭に、屈強な峯山たちが空気の渦を弾き飛ばしたのか、薄くかかっていた雲も消え去っていた。綿飴のようにくるくると巻き取られていく様を空想する。
眼前に広がる満点の星空は、それと向き合うために車の屋根の上に寝袋を広げようかと思ったほどだった。まったく、少しばかり濡れていたからといって、何故やめてしまったのか。
また一つ、誰にも教えたくない場所が増えてしまった。
星の姉妹
それからひと月近く経った頃、星を見ながらキャンプするというイベントに誘っていただいた。今思えば、なんともタイムリーな話だ。
肉眼ではぼんやりとまとまった光の集まりに見える〈プレアデス星団(和名:すばる)〉。その一粒一粒が、その時にお借りした双眼鏡で視認できることに感動した。
8倍くらいのレンズでも星空観察が一段と楽しくなる。
また一つ、人知れず欲しいものが増えてしまった。
湖畔の夜空
その翌週は〈オリオン座流星群〉が極大になるタイミングだった。
JR全線が3日間乗り放題になる『秋の乗り放題パス』を使って何処かへ旅立とうと目論んでいたから、ちょうど良いや、何処かよく見えそうなところへ、と選んだのが諏訪湖だ。
諏訪湖畔で温泉を堪能しつつ、拓けた空を思い描いて期待する。
上諏訪に到着したのは夜遅くだった。
宿までの道のりを歩きながら、足元に満天の星空の下で働く自動車を見つけて心が踊った。実は天気は悪くなかったものの、薄靄がかかっていて、それほどクリアな夜空ではなかったのだ。
この時のオリオン座の南中時刻は未明〜明け方ごろ。
宿を抜け出して流星を探しに行こうと防寒着も用意していたけれど、結局は足湯に浸りながら夜空を見上げる自分を想像するに留めた。
リトル・プリンス
そんな風に、よし見てやろうと意気込んでいる時でも、そうでない時でも、星の光は走り続けている。はるか昔からそうしてきたように。
それはそうと、明日閉幕となる〈MIND TRAIL〉の会場である奥大和に、この秋も度々足を運んだ。点在する温泉地を巡りつつ、ゆったりとした土地の空気を吸い込むと、身体中の血流が浄化されていくようだ。
天川村へ行った帰り、夜遅く立ち寄った黒滝村の道の駅で車外へ出てみると、思いがけず爽快な晴れっぷりだった。遠に営業時間が過ぎた駐車場は静かで、街灯はあるものの、それに負けないくらい星も際立っていた。
今の時代、特別な場所や特別な瞬間は、ネット上のあちこちにこぼれ落ちていて、砂漠の昼夜さながら、急激に加熱して日が落ちれば一気に放熱する。ドップラー効果みたいだと言い換えても良いかもしれない。
一方で何とも説明しようもない、自分だけの何気ない瞬間は、風化しにくい心の奥の方に刻まれてゆくように感じるのは気のせいだろうか。
共有することで得られる楽しさや安堵感とは別に、伝えようのないパーソナルな感覚は、時にセンチメンタルを呼び寄せる。それを〈寂しさ〉と言うのかもしれないけれど、深い深いところで静かに湧いて沈んでゆく感情には、他人には決して計り知れない尊さがある。
そう考えて、『大切なことは目に見えない』というフレーズが浮かんだところで我に返る。なんだ、サン・テグジュペリの『星の王子さま』の言葉じゃないか。
真理を語る言葉は頭で覚えても仕方がない。
実感から体得して初めて、理解し得るものだ。
そしてそれは、何気ない瞬間に起こる。
見えない星もそこにある
11月に入って注目しているのは〈おうし座流星群〉だ。
流星の出どころ〈放射点〉が南北に分かれているのが特徴的で、それぞれ南群は6日に、北群は13日に極大を迎える。
先の6日未明、自宅の前で暫く空を眺めた。
それなりに田舎で星も少しは見える方だと思うけれど、少ないはずの街灯がすぐ近くにあって、空を見上げると視界の片隅に光が入る。生活の上では有り難くも、星空観察の折はいつも口惜しい。
それでも、すうーっと走る流れ星を一つ、この目で捉えることができた。
1時間あたり3個程度と言われるものの、おうし座流星群の流れ星は比較的ゆっくりで長距離タイプらしい。寒空の下でのんびりすることを厭わなければ、観察しやすい気がした。
続いて8日は満月で、今生ではもう巡り逢えないはずの絶好の機会だった。
太陽、地球、月、そして天王星。
皆既月食だけでなく、天体食までが同時に起こるという珍妙なる好機だ。
しかも19〜20時頃と、手や足を止めて空を眺めやすい時間帯で、多くの人が空を眺めた日だったことは想像に難くない。
私が外に出られたのはちょうど皆既月食のピークの頃合いだったから、徐々に食われてゆく光景は観察できなかったけれど、薄ら雲に見え隠れする赤銅色の月を少しだけ見ることができた。
おうし座流星群の特徴でもある火球(明るい流星)が、著しく増加する周期は7年と言われていて、今年は2008年、2015年に次ぐタイミングだと期待されている。
通常は明るい満月と流星群の相性はよろしくない。でももしかすると、赤銅色の月とおうし座方面からやって来る火球の共演という、稀有な光景を見ることができた人だっていたかもしれない。
と、そんな空の様子を想像しながら、やっぱり目に見えることだけが全てではないし、固執することもないと思えたのは、負け惜しみではなく学びだとしておきたい。
流星群は今晩から明日の未明頃がピークだろう。
せっかくの週末だ。
また何処か光の乏しいところへ出かけるか、もう少し月が欠けるのを待つか。
天気との組み合わせも含めて、人間の力ではどうしようもない機を待つというのも、意外に楽しいものだ。
そして見えなくとも、『大切なことは目に見えない』という言葉に救いがある。