米粒遊歩 〜自由と孤独と本と手帳〜

旅のあれこれを手帳に書き残すように。

吉野桜の奇妙な同居人

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吉野の地を踏むのはこれで何度目だろう。だが、かの有名な千本桜に包まれる山の姿にお目にかかるのは初めてだ。

と言っても、桜ではなく、晩秋に見かけた樹上の住人に会うのが今回の目的である。

 

中千本が見頃となった今年の4月上旬。下千本の上空を現存する日本最古のロープウェイが走る。

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それを見送って七曲がりを突っ切る急登の近道を抜け、金峯山寺の黒門へ。この山門のすぐ足下にある『やまぐり』と看板を下げた茅葺の小屋をご存知だろうか。

売り物の山栗が気になる。が、もっと気になるのは中の人が狐さんであることだ。「何故こんな人里で栗を?」と尋ねてみたい。かねてよりそう思っているけれど、土産を買うのは帰りだ、といつもと同じく後ろ髪を引かれながら通り過ぎ、先を急ぐ。

 

桜の時期に来たのは初めてだから例年と比べようもないけれど、平日にも関わらずそれなりに人が居た。老若男女国籍問わず。ついでに何故か犬連れも多かった。最近は吉野をはじめとした山深い奈良の南部、いわゆる奥大和に点在する集落が少しずつ活気づいてきている。洒落た店舗が増え、道や公衆トイレがより整備され、人を迎え入れる準備が着々と進められているのだ。

天気が良く暖かい春日だったこの日は、集落のあちこちでソフトクリームを手にする人を多く見かけた。それを横目にずんずん歩くも、途中はたと気になったのは『吉野山うめ焼屋』の看板。そして大粒の梅干しをどーんと乗せた白い握り飯が目に入る。小ぶりのショーケースに近づいて見てみると、〈焼竹の子〉〈山わさび天プラ〉と流れるように目移りし、気づいた時には「採れたて揚げたて」の天麩羅が手に収まっていた。

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日本原産の生薬〈山葵〉は古くから民間薬として用いられてきた。揚げてしまえば判らないけれど、その名の通り葉の形が葵のようなハート型。新鮮な山の幸を天麩羅にして食べるのは、産地ならではの贅沢な楽しみだ。

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(ちゃんとお店の方にことわって写真を撮らせてもらっていますよ)

 

山わさびの天麩羅を頬張りつつ先を急ぐ。と言いつつも、ここに至るまでに既に何度か桜の木にカメラを向けた。桜の花を撮っているようにみせかけて、実は違う。

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この写真を見て、何かお気づきだろうか。

 

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そう、このぼんぼり。半寄生植物の『ヤドリギ』である。

ポケモン世代なら、名前くらいは聞き覚えがあるだろう。

(実際、ヤドリギの話をすると、知人がそういった反応をした)

 

花や葉が茂る季節にはあまり目立たないが、〈宿木〉という名の通り樹に生えているから、年中ずっとそこに居る。紅葉の季節が過ぎて葉が落ちると、晩秋から冬にかけてヤドリギで飾られた桜の木にお目にかかることができる。なんとも言えない可愛らしさだ。この吉野の地にはヤドリギが比較的広く分布し、一つの樹に沢山のヤドリギが共存しているのではないだろうか。


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(左 : 2021年11月 / 右 : 2022年4月)

特にこの樹がお気に入りで、ヤドリギが桜の花に包まれた姿はどんなだろうと興味を唆られて、今回初めて桜の開花期に吉野へ足を向けた。

 

ヤドリギは一本いっぽんも可愛らしいけれど、このぼんぼり型に増殖した姿が何とも面白い。半寄生植物だからこそ、太陽だけに執着しなくともよいということだろうか。ヤドリギの種子の周りにはベタベタとした粘性物質が含まれており、果実を食べた鳥が糞をする時、妙に尻切れが悪いことに気づく。だからちょっと用を足したついでに、おしりを枝に擦り付けてスッキリ解消してから飛び去っていくのだそうだ。これがヤドリギの生息域の広がり方であり、比較的樹上の高い位置に生えている理由である。

 

桜の花が儚く散り向けられる人の目が希薄になる頃、実ったさくらんぼ目当てにきっと色んな鳥がやってくる。自然界を舞台に繰り広げられる活劇に、ヤドリギも堂々と出演しているのだ。吉野の桜とヤドリギ。そしてその場にトランジットする鳥は、どんな色をしているのだろうか。

 

さて、黒門まで戻ってきた。が、時すでに遅し。

呑気に昼過ぎからやってきて、奥千本まで行って帰ってきたのだから予想はしていたが、『やまぐり』はやはりシャッター…ではなく、簾が下りていた。当然、山栗はお預けである。

 

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というわけで、また来よう。吉野の四季に。

 

こうして再訪の理由を作っておくと、その土地により愛着が湧く。