米粒遊歩 〜自由と孤独と本と手帳〜

旅のあれこれを手帳に書き残すように。

過去から未来へ。立山に根付く思想と信仰。

立山といえば、富士山、白山と共に名を連ねる日本三霊山の一つ。

室堂にて、立山を背負う石碑

 

よく耳にするものの、位置を漠然と捉えているくらいで、赴くまで何も知らなかったと言っていい。今回、初めて富山を訪問し、山を巡り、下山後に周辺の博物館や街の図書館に赴いたことで、この地の解像度が少しばかり増したらしい。

登る前に勉強しておけば……!という気持ちも無くはない。

でも、時間をかけてゆったりと巡り、そこで目にした光景を思い返しながら知識を収集したからこそ、染み込んだ、とも言えそうだ。

 

山々を巡った話の前に、この旅で知ったことを簡単にまとめておきたい。

 

 

立山とは

長野・新潟・富山・岐阜の4県にまたがる中部山岳国立公園

富山県東部の飛騨山脈や黒部川がこれに属している。

 

ちなみに立山のある『立山町』はものすごく東西に細長い。

『立山町』は特別豪雪地帯に指定されており、豊富な雪解け水が流れる常願寺川を中心に広がっている。急峻な山間部は山岳観光の拠点、広々とした平野部は稲作が盛んである。

実際にこの地を移動してみると、sea to summitに至るルートは、地形のメリハリがあってオモシロイ。富山の街を眺めて建築家やランドスケープデザイナーが注目している土地なんだろうなと、ふと思った。それはこのジオロジー的な魅力に惹かれたからではないだろうか。

 

さて、もう少しズームインして近づいてみると、Google Map上の『立山』の箇所には『コバルトブルーの温泉がある神聖な山』と表示されている(2022年8月現在)。

 

そんな風にざっくりとしか情報を見ていなかったので、今回の登山計画書を受け取って眺めた時には、お恥ずかしながら、ついでに色んな山を巡るんだなあとしか思っていなかった。

 

立山は一つの山ではない

立山は様々な系統の群峰・連峰群からなる山々の総称である。中心となる立山連峰は、〈神々が宿る精神的な山々の空間〉として『立山』と呼ばれ、古くは『多知夜麻(たちやま)』とか『太刀の峯』などとも称された。

 

この『太刀の峯』という表現。

この旅の道中ポスターか何かで見かけて、おや?と思った次第。

剣岳系、大日岳系、薬師岳系、白馬岳系など、名だたる連山連峰が折り重なっており、そのうち『立山三山系』が今回の山行きの目的地である。

雄山へと続く石畳の道のはじまり

YAMAPのサイトでも紹介されているが、ここでも簡単に触れておく。

立山本峰(たてやまほんみね)

この界隈の最高峰地群として、雄山神社のある雄山、大汝山、富士ノ折立の三峯を総称して『立山本峰』という。

  • 雄山(おやま) 3003m
  • 大汝山(おおなんじやま) 3015m
  • 富士ノ折立(ふじのおりたて) 2999m


さらに、この『立山本峰』を中心に、浄土山、主峰・雄山、そして別山の三山を〈三世諸仏〉に見立てて『立山三山』と称される。

  • 浄土山(じょうどさん) 2831m
  • 雄山(おやま) 3003m
  • 別山(べっさん) 2880m

 

これら三山三峯は、それを目の当たりにすると圧倒されるほど雄大であるけれど、立山はこれだけに留まらない。

此処を中心に、その世界は広がっているのだ。

 

三世諸仏(さんぜしょぶつ)

『三世諸仏』とは過去、現在、未来(場合によっては、前世、現世、来世)のことである。これが順に浄土山、雄山、別山に相当するという。

確かにどの山も高い。だからこそ周りを360度ぐるりと見渡せる。

高嶺の『うてな』のようでもあった。

 

立山信仰

立山信仰は、死者は山に還るという〈山岳信仰〉の思想と〈仏教〉の曼荼羅概念とが、神仏習合により密接に結びつき、山全体を神聖なものとして崇拝する。とりわけ地獄思想(あらゆる苦痛を具現化し、そこからの救済を考える)が特徴的だ。


古くは麓で装束を整え、中語もしくは仲語(神と人の仲介者;ガイド)と共に登って擬似的に死を体験した。雄山へ登ってようやく一人前、といった通過儀礼のような風習もあったようだ。

爆裂火口の跡地に広がる地獄界隈を巡り、岩石を積み上げたような立山に登ることで極楽浄土を目指し、今生に蘇って地に足を着ける。

『黄泉還り』とも言えそうだ。

 

コバルトブルーの池と蒼い山容

火山ガスが音を立てて吹き出す地獄谷を背に、みくりが池(御厨;神に供える酒食を用意する台所)を起点として、過去から未来へ、立山三山をのんびりゆるりと一周巡ってきた。

 

 

今回の縦走は2泊3日のゆるふわ行程。

しかし振り返ってみると、各日ごとに過去、現在、未来と巡っていた。

 

今回自分で登山計画を立てたわけではないけれど、図らずともそうなっていたことに、ごく個人的に面白みを感じた。だから、この先の縦走レポートには、その趣旨のタイトルを冠することにする。