外に出れば出るほど、本当に自分が無知であることを思い知る。
【韮崎】という土地についてもそうだった。
韮崎にて
『にらさき』というその土地は山梨県の北西部に位置していて、地図を眺めてみると、JR中央本線を中心に川や道路や細長い平地が束ねられような地形が面白く、南アルプスが眼前に広がるという贅沢さもある。
この山間の土地には、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を想起したきっかけがあるそうだ。なんでも生涯唯一とまで謳う賢治の親友・保坂嘉内の出身地であり、そのきっかけは彼が中学1年生だった年に遡る。
78年周期のハレー彗星が地球に大接近した1910年。観測条件も良く、日本各地でも取り沙汰され、『ハレー彗星が近づくと地球の酸素がなくなる』なんてデマが流れたりして一時混乱を招いたりしたらしい。
憶測だけれど、ハレー彗星が近づくことで何かしら酸素が消費されるような科学データがあって、それが過大解釈され噂が誇張され、『なくなる』なんて飛躍した話になっちゃたんだろう。
まあそんなことは、今の時代にだってよくあることじゃあないだろうか。
情報化社会が進んだことで、真偽の間で混乱するよりも、そうらしいと信じる割合が増しただけで。
して、その年の5月20日。
嘉内少年はこの韮崎にて、夜空を駆けるハレー彗星を眺め、その様子をスケッチした。そしてその時、こんな言葉を残す。
銀漢を行く彗星は夜行列車の様に似て遥か虚空に消えにけり
(銀河鉄道展望公園の案内板より)
その周期からして、人の人生で目にすることが叶うのは1度か2度。
ロマン溢れるその夜に空の高みで長く尾を引く彗星の姿は、闇夜を走り抜ける夜行列車さながら、さぞかし胸を高鳴らせただろうと想像する。
そして後に岩手の盛岡高等農林学校にて宮沢賢治と出会い、その光景や感動について、たっぷりと臨場感を交えて語っただろうことが、『銀河鉄道の夜』の創造へと繋がっていったと言われているらしい。
銀河鉄道が見える場所
そんな謂れのある韮崎には『銀河鉄道展望公園』なる場所がある。
ここからJR中央本線を眺めることができ、夜に明かりの限られた土地を走る列車の光が、まるで彗星の如く駆け抜けるように見えるのだそうだ。嘉内少年の言葉のように、実にロマンティックである。
そのことから、この地を駆け抜ける鉄道を巷では『銀河鉄道』と呼ぶそうだ。
そんな情報を掴んで、あわよくばと韮崎駅の近くに宿をとった。
実は『見えない星を巡る旅』で少し話題にした諏訪湖周辺を歩き回った後、移動した先がこの韮崎だったのだ。
オリオン座流星群の極大に合わせて赴いた諏訪湖では、その星空を見ることは叶わなかったこともあって、翌日もどこか星を見るのにうってつけの場所はないだろうかと目をつけていたのが、この『銀河鉄道展望公園』である。
とはいえ駅から公園まで、徒歩で往復2時間。知らない土地の人気のない場所を夜間に独り歩くことになる。
距離にして8kmほど。
それだけならば別に歩けない距離でもないけれど、その日は既に20km近くを歩き回っていた。翌日も続く旅程を鑑みて、やはりここは休息を取るべきだろうかと、温かい蕎麦を啜りながら随分悩んだ。
少し足を延ばして行った甲府の『生そば きり』さんのかしわ蕎麦である。
一歩脚を踏み入れると、狸がお出迎えしてくれるお店だった。どこか”Good Luck!"とでも言ってくれそうな雰囲気が漂っていて、親近感が湧く。
この蕎麦を食べて韮崎に戻り、その脚で展望公園に向かうか否か。
といった思案を経て、結局は旅程や体力的な都合から断念したけれど、趣くままに興味の矛先がなぞっていたものが、連動しているように思えて不思議な気分になった。
星の軌跡
星を巡る旅に、双眼鏡で眺めたプレアデス星団の個々の星々。
そしてオリオン座流星群の機をきっかけに旅に出た。オリオン座流星群の正体は、ハレー彗星の置き土産だ。
それを追う私はこの地まで鉄道で移動してきたし、ここから先へもその道は続く。
私もモナドの民なのか。
まるで予定調和のような自分の行動を奇妙に思いつつも、むしろふつふつとした興味が膨らんで、『王子様はハレー彗星だった:-数と天文、聖書で読み解く『星の王子さま』の世界-(椚山義次 著)という本を見つけて気になり始めた。
さらに同じ著者の『銀河鉄道の夜』と聖書ーほんたうのさいはひ、十字架への旅(椚山義次 著)では、熱心な法華経徒の宮沢賢治がまるでキリスト教徒のような筆致で『銀河鉄道の夜』を執筆している、という視点でその思想を探るという。
『トレイル思考』で語ったように、キリスト教徒の聖地を目指す巡礼路〈カミーノ〉を視野に入れている身としては、赴く前の参考図書となりそうだ。
星は見ずとも、その軌跡を辿っているのだから。