熊野古道の一部であり、他の道とは別格とも言える険しさの大峯奥駈道。そして吉野山の集落を貫く通りは南へと向かう大峯奥駈道の一部である。
桜を堪能しつつそぞろ歩きする間、気付かずとも世界遺産の一端に触れていることになる。それが吉野町の魅力のひとつだろう。
大峯奥駈道の起点はもっと北にあるけれど、街歩きを楽しむなら終点の近鉄吉野駅で降りる。
土産物屋で見つけた試食の羊羹は〈新緑が芽吹いた桜花〉のカラーリングで、ピンク色の方には桜の花弁が入っている。桜の開花期に最も活気付くこの町には、当然ながら桜を巧みに取り入れた物産が沢山ある。それらを物色するのもまた面白い。
山の斜面に発達した集落のため、この町は駅からすぐに坂道の連続である。ただし、七曲がりの下千本を登りきったあたりと金峯山寺を越えてしばらくは比較的平坦で店も多い。
民家の庭先に植えられたミツマタやボケなど、桜以外の季節の花も目を楽しませてくれるし、チェーンソーアートの動物も沢山いる。
そうして町を抜け、上千本のあたりまで来ると店がなくなり、本格的に〈道〉が続くという実感が湧いてくる。斜面を登る時は足下に埋め込まれたマイルストーンも目につきやすい。
流石は世界遺産とも言うべきか、立派な案内板も設置されている。吉野杉や吉野檜といった上質な木材は〈吉野材〉と呼ばれており、きっとこれにも使われているんだろうな、と勝手な想像を巡らせる。
トレイルを歩む者にとって、道筋や現在位置の確認は欠かせない。人生においても同じだろう。そしてその道標やマイルストーンが心の拠り所であることは間違いないのだ。無くとも歩くことはできようけれど。
木の案内板に続いて石の道標がルートを示してくれる。どちらも時間の経過とともに、風雨に晒され少しずつ風化する。どんな風に変化してゆくのか楽しみである。
花矢倉の展望台まで登ると、桜に包まれた金峯山寺が一望でき、先程見上げた蔵王堂が今度は遥か遠くに小さく見える。これが過去を振り返るということなのだろうなと漠然とした納得が降りてくる。
足元にはスミレ、目の高さにはアセビと山に自生する植物もチラホラと見かける。
クロモジも新芽と可愛らしい花を綻ばせていた。
上千本の桜は開花し始めていたけれど、高城山や金峯神社の修行門を越えた付近はまだ蕾で、その時が来るのをじっと待っていた。この週末には開花する頃合いだろうか。
金峯神社の右奥へ続く道を進むと山上ヶ岳方面への道と奥千本への分岐の案内板がある。今回は大峯奥駈道の先へは行かず、奥千本を周回して戻る。
西行庵のある奥千本へと下る道は、くしゃみでもしようものなら、転げ落ちてしまいそうな錯覚に陥る急斜面にある。整備されているとはいえ、歩きやすい靴で行った方が良い。
西行庵を眺めてから、誰も居ない奥千本を前に昼食とも間食ともつかない食事を摂る。もう夕刻なのだ。
紀伊半島で山仕事の携帯食として親しまれている〈めはり寿司〉は目を見張るほど大きな、という名の由来で高菜漬の葉が巻かれている。
持参したのは奈良の〈わさび葉寿司〉。近鉄奈良駅や橿原神宮前駅に店舗がある『うめもり』の寿司は、見た目も華やかな印象だ。季節のネタが乗せられていたりもする。竹の子と迷いつつ、今回は海老にした。
柿の葉寿司ともまた違う。吉野には店舗がないけれど、歩いて汗をかくと塩気や酸味のあるものが特に美味しい。
身体が欲しているものを食べると幸せになる。
近鉄吉野駅〜奥千本・西行庵までは登り2時間、下り1時間半程度。町と山が一体になった土地を歩き、景観を楽しむ。贅沢な時間だ。
観光客が引けると地元住民たちが出てきて立ち話をしていたりする。もちろん挨拶をしながら、ぐんぐん下りる。どの店も閉める準備をしていた。
店の前を通り過ぎつつ挨拶すると「おかえりなさい」と返され、なんだかじんわりとしたものを感じた。そうか、と。
この町の人たちは険しい道をゆく人を見送り、また帰ってくる場所として、ここに居てくれる。少なくとも、別の土地から来た者にとっては。
人が暮らしている。
それが何よりもの道標だ。
最後に七曲がりに差し掛かる前に焼餅を。ふわっふわで、砂糖の甘みと醤油の旨味が疲れた身体に染みた。