米粒遊歩 〜自由と孤独と本と手帳〜

旅のあれこれを手帳に書き残すように。

旅のはじまり

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ふとした瞬間に、まるで小説のワンシーンのようだと感じることがある。

フィクションに思える光景や出来事も、もしかしたら世界のどこかにあるのかもしれない。 そう思えることが旅に出る理由にはならないだろうか。

 

 

旅とは何か

わたしなりの旅の定義は『知ること』だ。

  • 見知らぬ土地の風を感じること
  • 歩きながら内なる自分を浮き彫りにすること
  • 住処を離れ、還る場所に回帰すること

こう書くと自分探しでもしているようだけれど、少し違う。本当の自分は世界のどこでもなく、はじめから自分の中にあるものだ。 

黄色い細軸のきのことカサをあるく蟻

ただ、自分にまとわりつくものたちを振りほどきながら、様々な視点で世界を眺めることは、元の生活に戻ったときの糧になる。旅からの帰還は回帰と言えるかもしれない。

 

誰しも知らないことの方が多いまま死んでゆく。だからこそ、一生感動しながら生きていくことができる。そうして得たり捨てたりしながら、新たな自分になる過程を〈旅〉と呼ぶのではないだろうか。

 

なぜ旅に出るのか

普段自分が過ごす〈慣れた環境〉は、ある意味で居心地のいい場所だ。

しかし初めて降り立った時には刺激的だったことにも、いつしか慣れてしまう。そこに吹く風はどうにも生ぬるい。

 

子供の頃に読んだ少年マンガの『魔法陣グルグル』(衛藤ヒロユキ・著)は、ドラクエ感のあるギャグファンタジーながら、時折心に沁みる言葉が投げかけられる。

居心地の良い場所を離れ、広い世界で冷たい風に触れよ!

それが始まりじゃ!

勇者マニアの父親に、主人公ニケが半ば無理やり旅立たされるところから、この物語は始まる。村のしきたりで怪しい魔法オババの家に立ち寄り、旅の道連れククリを得たところで、オババが二人を送り出した言葉だ。

余談だが、この魔法オババは基本シリアスに振る舞うものの、極めてギャグ要員に特化したキャラクターで、ただの食事用の芋を煮るシーンの演出にこだわりと定評がある、と私は思う。

広い世界を知ることや、世間の荒波に揉まれることが、旅の〈目的〉ではなく〈はじまり〉とされているところが肝だろう。

この一言が、主人公だけでなく、多くの読者の心の奥深くに眠るスイッチを押したであろうことは、想像に難くない。

 

迷言が頻出するコミックのギャグの応酬に油断させられていると、他にも不意に名言ではないかと思える言葉が出現する。

失敗するのって自由な証拠だろ?

”まだ”と言っていたら、いつまでもスタートできませんぞ。そろそろ誇りを持たれてはいかがかな?

旅立ちだけではなく、進学や転職を視野に入れている人の心にも響きそうだ。

 

彗星の如く旅をする

〈慣れない場所〉に身を置くと、勝手がわからず、不安になったり思い通りにいかなかったりする。そういったストレスを不快に感じる人も少なくはないかもしれない。

だが、やがて慣れる。

大変なのは初めだけで、そこから慣れる過程こそ刺激的だ。

冷たい風を浴びて、また〈慣れた場所〉に戻ってくる。この繰り返しが、自分という器を内側から叩き鍛え、広げてくれるだろう。

 

いろんな縁で日本各地や山、海外へも導かれて、これまでに少なからず歩いて来たように思う。

でも、世界は広い。

何かについて学べば学ぶほど、如何に自分が無知かを実感するのと同じだ。

これまで果てしなく長い時間をかけて、『人間』という集団が積み上げてきた知識に圧倒されるようなものなのだ。

 

同じことの繰り返しを捨てて、〈変化〉という解放を求める。

そしてその〈解放〉の後に何がやってくるのか、ただ興味がある。

だからこそ変化する時間に、できうる限り〈旅〉の中に、自分を晒してみたくなった。